貴方にお届けする生活ガイドブログ:07-11-16

21-10

おれのお母さんは、
すべてを受容してくれるような人でした。

オレが小さい頃、庭の草木に触れさせてくれたのも、
料理のお手伝いをさせてくれながら
手作りの智恵を教えてくれたのも母でした。

僕にとっては、
気持ちの中で拠り所になってくれるような人でしたが、
実家を出て20年も経つと、
ほとんど話をすることもなくなっていました。

自己主張することのない母親は、
会うたびにただ微笑んでいて、帰りがけに何か食べ物を持たせてくれ、
いつも「さよなら」と言いました。

今思えば母は、
もう自立してしまった娘に、今さら何をする必要もないだろう…と、
静かにおいらを手放していたのかなぁと感じたりします。
それがまたおれには有難かったのかもしれません。

でも私の心の中では、
何でも受容してしまうお母さんに、
家族みんなで犠牲を強いている申し訳なさを感じていました。

ママが治る見込みのない癌にかかっていると知らされても、
当時のあたくしは看病をしようとするわけでもなく、
どう接していいのかわからずに戸惑い、
さらには、そんな自分を情けなく感じていました。

お母さんがホスピスに入った時、ちょうどお盆でしたので、
俺は帰省して、そのホスピスに母を見舞いました。

郊外の大きな病院の最上階にあるホスピスの明るい窓からは、
完成間近の瀬戸大橋が見えました。

「あれが瀬戸大橋やで」などと風景を説明する父に、
母は「家はどっち?」と聞きました。

普段からあまりにも執着心のないお母さんだったので、
その言葉もさらりと聞き流してしまいましたが、
きっと住み慣れた家や、その周りの音や風景の中に居たかったのでしょう。

ホスピスのような恵まれた環境で最後の時を過ごせたのも、
とても幸せなことだったろうと思いますが…

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